麻生太郎のお面づくりに勤しむ小6女児

 

「いつから政治に興味があったんですか?」と聞かれたら、オフィシャルには「高校生くらいのころからですかね」と答えるようにしている。


厳密に言えば、本当は、政治に興味がある方ではない。認知能力は明らかに低下していて、一般企業であればとうに定年、という齢の男性が主催するオールド・ボーイズ・クラブなんかに、関心があるわけがない。しかしながら、あやつらに任せておけばやい利権だやい不祥事だやい差別だと大騒ぎ、挙げ句の果てにはこちらの雀の涙ほどの給料を根こそぎとっていかれるのだから黙っていられるわけもなく、SNSや日常会話のなかで積極的に政治の話題を上げるようにしている、というのが実情である。


公職選挙法一部改正にともない、選挙権年齢が引き下げられた2016年。ちょうど18歳だった私は、なんとなく「自民党以外に投票しなきゃ」と直感し、長らく選挙とはご無沙汰だった母を無理やり連行して投票所に行った。あのころの記憶が鮮明だったので、上記のとおり「政治に興味をもったのは高校生から」と答えるようにしていたのだが、最近ふと、そういえばもっと子どものころから政治を意識していたよな、と思い出したのでそのエピソードについて書きたい。


小学6年生(5年だったかもしれない)のころ、クラスに「お笑い係」というものが勃興した。鶏が先か卵が先か、記憶の限りでは、ある日突然担任が「クラス全員参加のお笑い大会」をやろうと言い出し、「お笑い係」はその運営機関として据え置かれた。


今の時代だったら、そんな企画は強行されなかっただろう。「お笑い大会のせいで子どもが学校に行けなくなりました」と保護者から苦情が来るかもしれないし、児童の誰かにスマホで撮影・投稿されればネットで大炎上するかもしれない。教員の人手不足と長時間労働がこれだけ取り沙汰される時代。そんなハイリスクな催しは、企画段階で霧散するに決まっている。しかし当時は、震災で日本社会が大きく変わってしまう前の、お気楽な時代だった。


問題の核心はお笑い大会にあるわけではなく「全員参加」にあった。それは、あの備え付けの硬い椅子におとなしく座り、陽気な男子たちが与えてくれるエンターテイメントに口を大きく開けてハハハ!と言っていればいい、ということではなかった。全員「出場」の意なのだ。


ドラえもんで例えるならば、ジャイアンにかぎらず、のび太スネ夫もしずかちゃんも出来杉くんも、多目くんもムス子も名もなき委員長だって、とにかくどんなモブだろうと人前に立って「お笑い」をやらねばならぬということだ。なんという共感性羞恥の大波乱! そんな地獄に身を投じるなどできぬ……。

 

だがしかし10年と少ししか人生経験のない子どもたちにとって、キツネ目で"男まさり"なスパルタ女性教師の指示は絶対命令だった。ボイコットという抵抗方法があるなどとはつゆ知らず、自分も女子2人とトリオを組んで大真面目にネタを考えた。


一方そのころ国会は。麻生太郎から鳩山由紀夫へ、時の権力が移り変わった。とくに麻生は、国会答弁における言い間違いと失言の数々で不快なほどメディアに登場した。

 

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わたしが考えたのは、「未曾有」を「みぞゆう」などと読んでしまうようなこのどうしようもないおいぼれ①と、なんだかパッとしないおいぼれ②の掛け合い漫才だった。

 

いわゆる"先進国"では1割にも達しない世襲議員が、この国にはなぜか3割も存在してしまう。麻生と鳩山はまさにそのようなおぼっちゃま議員で、この世襲ベイビーたちを皮肉ってやろうというネタだった。

 

習い事の合間に夜な夜な、狂ったように上がり眉の麻生と下がり眉の鳩山の顔写真を検索し、あれでもないこれでもないと言いながらキャノンのプリンターで実際のサイズに印刷。耳の部分に輪ゴムを通してお面をつくった。ネタに使う小道具の完成だ。今思えば、小生意気にもネイルやメイクに関心を持ちだすはずの第二次性徴期の娘が、異様に真剣な眼差しでジジイのお面づくりに勤しんでいるなんて、母親はどんな気持ちだっただろうか。子育てというのは一筋縄ではいかない。

 

久しぶりに麻生太郎の読めなかった漢字を検索してみたら、驚き呆れて目が点になった。

 

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一応補足したいのだけれど、当時のメディアもわたしも、「漢字が読めない」ということだけで彼を揚げ足取り的にバカにしていたわけではなかった。教育の機会は残念ながら平等ではない。なんらかの事情で学びの場から追い出されてしまった人や、外国人の政治参加も当たり前のものにしていこう、という観点から言えば、漢字が読めないということをあげつらうべきではないと思う。

 

麻生が批判されたのは、そこじゃない。

 

何百万〜何千万もの政治資金を飲み代にあて、「ナチス憲法の手口に学んだらどうか」「子どもを産まなかった方が問題」「民度が違う」などの暴言を吐く。詰問されれば「誤解」だといって謝らない。実力もない、誠意もない。漢字が読めなくてもへっちゃら。だってそんなドラ息子だろうと、世襲で手軽に国会議員の花形ポストが得られるんだもの……。

 

そう、そんなふうに日本の政治がまわっていることが嘆かれたのだ。

 

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それにしても、10年ほど前、小泉政権の後はどの政権も長続きしないとさんざん揶揄されていたけれど、今の自民党政権のひっくり返らなさを考えるとあれは全然マシだったなと思う。最悪のことをしでかしてくれる極悪人が国家元首の座につくくらいなら、”無能”がなにもしないでいてくれるほうがよっぽどよかったよ。

 

お笑い大会に話を戻すと、あの風刺ネタはややウケに終わり優勝は逃した。なぜそこまで前衛的なネタが思いついたのに、大会自体をバックれることは思いつかなかったのか。あの大会で記憶に残っているクラスメイトのネタはひとつもない。たぶんそれだけ「自分が一番面白かったのに」と結果に不服だったんだと思う(傲慢ですみません)。

 

 そういえば、「なにを面白いとするか」というのも非常に「政治的な」決定だよな、と思う。